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2010年6月23日水曜日

OFM日本管区の歴史 8

21世紀に

22.前に向かって 23.未解決の諸問題 24.今日の曲線

22.前に向かって

日本の兄弟たちは、以上のような一見解決不可能に思われる重荷を引きずりながら、二一世紀を迎えた。⑪二〇〇一年の管区会議で管区長に選ばれたミカエル湯沢民夫神父は、六年の任期の間に次の管区長と執行部のために負の遺産を精算しようと誓った。最初の仕事は、すべての地区の会計を管区で一つに統合することであった。二〇〇四の管区会議で、三年以内に全ての会計を統合することが正式に決定された。統合は順調に進み、二〇〇七年春にはほぼ完了した。それにより⑫年次会計決算報告書と予算書が精査のために提出され、認可される仕組みが定着した。これは画期的な前進であった。ついに日本管区は名実ともに管区となったからである(宗教法人の統合はまだ終わっていないが、これは手続き上かかる時間の問題にすぎない)。また別の分野では、多くの兄弟が思いがけなくも共同生活を好意的に受け入れる態度に変わっていった。⑬高齢の兄弟たちを受け入れ、世話をしようとする兄弟共同体も増えた。兄弟的な共同生活だけでなく、兄弟共同体として福音宣教する在り方へと変わっていく兆しが見え始めた。これが仮にわずかの試みにとどまっているにしても、メンタリティーの変化は紛れもない事実である。 ⑭生涯養成の面で、よく準備されたプログラムは、この三年間に五回実施され、各兄弟はその内の一回参加することになっていた。プログラムの内容は二〇〇三年の総集会の成果、さらに⑮二〇〇六年の臨時総集会の準備と成果を取り入れたもので、さらに二〇〇七年の管区会議の準備にも役立つように工夫されていた。それで、すべての兄弟が管区の将来のための企画立案と決定に関わることが出来るようになった。

23. 未解決の諸問題

⑯二〇〇七年の兄弟の数は、海外にいる八名の宣教師の兄弟も含めて一二一名(日本人八五名と外国人三六名)である。聖フランシスコの生き方に惹かれてフランシスコ会に入会する若者は毎年一人か二人はいるが、長続きしない者が多い。新しい外国人宣教師は極めてまれである。三五年前に今よりはるかに若い二六五名の兄弟に委ねられていた教会や施設の大部分を、今では一二一名の兄弟が、それ以降に作られた新しい施設も含めて、引き継いで行こうと頑張っている。統計予測から見ても、人員が減少し続けるのは明らかである。 ⑰人手不足を痛感させられるのは、特に小教区司牧の分野である。兄弟たちは七〇近い小教区を任されているが、その中で常住の司祭がいない教会も多い。日本のすべての司教区が同じような人手不足に悩まされている。問題は単なる司祭の数ではない。常住の司祭がいなくても、活気を保ち、成長して行けるような、教会を引っ張って行く信徒の数が大幅に足りないことが問題なのである。注目すべき例外はあるにしても、司祭個人のリーダーシップに長い間頼ってきた小教区では、信徒が受け身で、教会に司祭がいなくなると活気がなくなる傾向がある。しかし、今は、司祭による指導の在り方をもっと緩めて、その元で信徒が自分たちの小教区で自ら福音を宣べ伝える者となり、小教区を運営していけるように育成するための大きな奮闘が必要である。もし、現在より数少ない司祭が積極的に活動する信徒のために司牧的世話をし、全般的な方向付けをするようになれば、より健全な教会につながるはずである。

24 今日の曲線

最近の兄弟たちは、かつては乗り越えられないと思われた障害を克服して、目覚ましい進歩を遂げきた。しかし、兄弟たちが高齢化し、人数も先細りする状況の中で、今ある大きな問題と課題に立ち向かい解決する力を兄弟たちは持っているだろうか。この問に対する答えは、⑱聖パウロのコリントの信徒への第二の手紙にあるように思う。「キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」(一二:九)。もし、兄弟たちの現在の非力な状態を聖パウロが述べている態度で受け入れるならば、それこそは神が兄弟たちを新しい生き方と福音宣教のあり方へと導く道となりうるのである。⑲神は再び曲線で真っすぐに描こうとされているのではないだろうか。

日本のフランシスコ会1593-2007 (Friars Minor in Japan 1593-2007)

著者:カリスト・スイニ, ofm

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