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2010年6月22日火曜日

OFM日本管区の歴史1

フランシスコ(東京・大田区田園調布)

まえがき

十六世紀の終わりごろ、不思議な一連の出来事を通して、四名のフランシスカンが日本で宣教師として働くようになりました。やがてその数は増えて行きましたが、一六九七年にそのうちの六名が三名のイエズス会士と一七名の信徒と共に処刑されました。それにもかかわらず、来日する宣教師は後を絶たず、彼らの伝える福音の教えは多くの人々に受け入れられました。一六一四年になると、迫害はさらに間断なく激しいものになりました。すべての宣教師は追放されるか、または殉教し、数え切れないほど多くの信徒たちが信仰を守りぬくために命を捧げました。こうして、キリスト教の痕跡は日本から跡形もなく拭い去られ、五〇年近く日本で働いた兄弟たちの存在は、まるで無駄であったかのようでした。

一八〇〇年代の中頃になると、日本は外国との貿易のために門戸を開放し、宣教師たちも再び来日を許されました。このときもまた、一連の予期せぬ出来事によって、一九〇七年、およそ三〇〇年ぶりにフランシスカンが再来日することになりました。今年二〇〇七年は、その出来事の一〇〇周年記念に当たります。

最初の宣教地は北海道でした。やがて、宣教地は鹿児島や沖縄にも広がり、ついには、一二の外国の管区に属する一二の独立した宣教地が生まれました。これらの一二の宣教地が一つの日本管区として統合されたのは、ちょうど三〇年前の一九七七年のことでした。

この二つの記念祭を祝うにあたり、ここに簡単ではありますが、一五九三年に来日してから今日までの日本における小さき兄弟たちの生活の歴史をご紹介します。これは、聖ペドロ・バウティスタとその同志の初来日四〇〇年を記念して、一九九三年に書き下ろした小冊子を手直しし、書き加えたものです。基になっているのは歴史的書物から得た情報です。それを私個人の回想と解釈を加えてまとめました。

歴史を読み、考えるにつれ、信仰の先達に対する深い畏敬の念と感謝の念を禁じえません。最悪の状況下で主がそのご計画を成し遂げられたその神秘的ななさり方にも、深く驚嘆させられました。今日、状況はまたもや暗いものがあります。しかし、過去に予期せぬ道が開かれたことを思うと、日本のフランシスコ会の未来にも希望が持てるでしょう。

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